この道50年  2弾

何の勉強もせず 予備知識もなく他の旅館への修行もなく

   他人の釜の飯を食わないまま入社

  親が苦労をしている姿を子供の頃から見てたので

     役に立ちたい気持ちが一番でした 

   入社して感じたのは経営が苦しい事でした

     運よく1970年に大阪万博があり大勢のお客様が

     来られ円山荘を助けてくれました

    これも半年だけ 後は又苦しい日々が

     28歳の時 縁があり見合い結婚を 

    3人の子供に恵まれ一家5人の家族が出来ました 

  私が34歳の時先代から社長を命じられた事が

    私を奮い立たせました 今も気持ちは同じです

  
    まずは集客 旅行代理店へのお願いも

     新参者は相手にしてくれません

     独自で色んなプランを出しましたが

     ほとんど当たらず

   女将と二人で大阪・神戸の団地に営業チラシをまきに

       何度も行きましたが成果が薄かった

      集客の難しさを知りました

    唯一ヒットしたのが老人会
     
   他の宿が手掛けててない老人会の旅行に的を絞り

   走り回りました 成果が出たのが一年過ぎてから

   忙しい毎日でした 折角お越し頂いたお客様に

  思い出に残るおもてなしをしたいと私の叔父で
 
  木村博さんの安来節踊りを 踊りおわった後は

    私が御礼の挨拶を そんな毎日を数年続きました

    結構 評判になり リピーターも増えました

    大勢のお客様で毎日が大忙しで 先代と母親は

    売店係で嬉しい悲鳴でした

   お蔭で 

    風呂工事と館内改装が出来る様に・・

   丈夫な身体に産んでくれた両親に感謝

       次回また

    
      亭主のひとり言 下浦康伸
       

    

       

    

    

  

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